海外に住んだことのある方が日本に帰ると、必ずある違和感を感じると言います。

 

それは、『やたら見た目を気にしなきゃいけないという圧力』

もちろん汚い格好よりキレイな見た目にしてる方が良いのは、日本も海外も一緒の感覚です。

 

人に印象を与えるうえでの一番は「見た目」から入るのがほとんどですから。

 

でも実際に海外に住んでみて一番感じたことは、普段の生活において多少の気の緩みなんて当たり前で、見た目なんか自分の自己満足でしかないことであり、自分だけでなく周りも人の見た目をそこまで気にして生活していないことでした。

 

それは海外に住んだ仲間に聞くと、ほとんどの人が同じような感覚を持つと言います。

 

一体なぜなんでしょうか。

 

今回は日本人の特徴や価値観、外国人との違いなどを踏まえて、お話できればと思います。

 

日本人独自の見た目に対する価値観

 

よく外国人の友達と日本人のことについて話す時に、

「日本人は見た目を気にし過ぎだ」

「日本人は見た目で判断する」

「なんかみんな似てるよね」

と、よく言われました。

 

僕も最初はその意味が分からず、むしろ外国人の方が「見た目気にしなさ過ぎて頭おかしいんじゃないか?」とまで思ってました。

 

でもある一定の期間海外に住んでると、不思議と自分の見た目とか服装とかどうでもよくなってきます。

 

買い物行く時なんか常に半袖・半ズボン。

常に小学生みたいな格好で生活してましたよ笑

 

でもかと言って自分だけがそういう訳ではなく、現地の人の中にはビリビリに破けた服を平気で着て歩いてる人もいます。

もちろん都心部などではあまり見かけないのですが、例えそういう人が街にいたとしても、何か指摘されたり嫌な顔されたりする訳でもありません。

 

僕が思うに見た目をやたら気にしてしまうのは、ある種日本ならではの価値観であって僕たち日本人が特別、無意識に人の見た目に反応してしまう人種なのではないかと。

確かに日本という国柄、島国で他の人種をあまり見ない国ですから、ちょっと見た目が違うと違和感を感じるのは仕方の無いことかもしれません。

 

日本人にとっては、人の目を気にして見た目を周りと合わせることが、自分の存在意義を確認する方法であって、ちょっと人と違うだけでもなんだか落ち着かない感覚に陥ってしまう。

だから「みんなと一緒にすることで安心する」というのが一つの理由なのではないかと思います。

 

それが日本という国の風潮でもあるので間違いではないですが、その分個人個人が失ってしまったものがあります。

 

それが、『個性』。

 

見た目の美しさは手に入れても、「個性」を失った

 

 

日本人は他国の人種に比べて男女ともにキレイ好きで、オシャレな人が多い印象です。

しかしそれは裏を返せば皆一緒で「個性」がなく、外から見た姿は異様な光景にも見えてしまう。

 

それは小さいときから培ってきた「教え」が大きく関係してると思います。

 

僕たちは小さい時からずっと『出る杭は打たれる(個性を潰す方法)』という教訓の元、横一列で個性を出し過ぎず協調性を持つことが大事だと教え込まれてきました。

 

それは外国人からすると、”個性を出してはいけないのは単なるロボットと一緒”というのが世界の常識です。

 

外国人同士の会話において自分の意見ははっきり述べないといけない文化であり、自分の意思を常に持ってるからか自立した考え方をしてる人が多いです。

それだけ小さい時から親や学校での教育の仕方が違うんですよね。

 

人よりも目立ち過ぎるとなぜか叩かれる日本に対し、目立つ能力を褒めて更に伸ばす海外。

 

どっちが正解とかではないですが、今までの教育法では日本人として世界で勝負できないのは、何となく気づいてるのではないでしょうか。

 

単純に、協調性しかない日本人が個性の塊の世界に行ったらコテンパンにやられます。

圧倒的に個性の強さに負けるんですよね。

 

僕も実際にこのような経験をしたこともあるし、美容師としての本当のプロ意識が芽生えたのも海外に行ってからです。

 

海外に行ってから始めて気づいたんですね、「人間が生きていく上では個性がないといけないんだ」って。

 

30歳手前にして、自分の今までを全て覆すような経験だったのを今でも覚えています。。

 

人の個性について意見を述べるのは、余計なお世話

 

実際に僕の経験上、面白い感覚だなと思ったことがありました。

 

”しゃべってる相手の見た目の話をしないということ”

 

外国人の相手から、僕自身の見た目のことで何か言ってきたことなんて一度もありません。

影では言ってるかもしれないですけどね笑

 

日本人同士ではこういった会話よくありますよね。

「今いくつ?」

「あれ、太った?」

「老けたね〜」

「若っ!!」

こういった言葉を面と向かって、一度も言われたことはありません。

ただの一度もですよ。

 

もちろんある程度仲良くなれば、冗談混じりでふざけて言ってくることはあります。

 

ではなぜ彼らが見た目の話に触れないのか理解していますか?

改めて考えたら当たり前の話なのですが、それは個人のプライバシーの問題であり、いくら仲良くても人の見た目を突っ込む筋合いなんてないからです。

 

日本人が外国人と話す時によくやりがちな、

「鼻高いですね」

「顔小さい」

「背高い」

なんて実は絶対に言ってはいけないタブーなんです。

 

そんなことを相手に言っても「ありがとう」と口では言ってくれるかもしれないですが、心では「何なんだコイツ!余計なお世話だよ!!」と思っています。

むしろ見た目のことを言われるのは、”けなされてる”と思われてしまうのです。

(もちろん全ての人ではないですが、違和感を感じる)

 

要は、人がどうしようと自由だし人のことにとやかく言う権利は誰にも無い。

人の領域に土足で踏み入るようなことは絶対にNG。

 

これは日本人もこの価値観から学べることは多いのではないかと思います。

日本語でも「余計なお世話」というのがありますが、まさにそういった場合に使われる意味合いにぴったりなのではないでしょうか。

 

”相手に気を使ってるようで、気を使ってない”

 

これ日本人が外国人と会話する時に、最も気をつけなければならないポイントなので覚えておいてください。

 

「みんな一緒に」が、個性を潰す

 

 

なぜこんなにも日本人と外国人では価値観が大きく違うのでしょうか。

 

やはりその根っこを見ていくと”みんな一緒に”という感覚が様々な原因を作り出していると思います。

 

日本で日本人同士においてはそのままでもいいのですが、日本人が世界で勝負をしていくうえでは全く意味を無さない感覚であって、外国人には理解できない日本人独特の思考なのです。

 

例えば、相手の見た目が悪かろうが、若く見られようが、太ろうが、それはその人の個性であり、だからと言ってその人自身に価値がなくなった訳ではありませんよね。

むしろ、「その個性を理解する為に、この人ともっと話してみたい」というぐらいの思いを持つことの方が大事なのではないでしょうか。

 

少なからず外国人の多くは相手のことをよく知らないのに、見た目で勝手に判断するようなことはありません。

だからまずは相手に対して尊重の念を持って接することができ、初対面の人でも打ち解けて話せるんですよね。

 

要は、全て否定から入ってないんです。

 

むしろ”その個性にこそ価値がある”と思っています。

 

だから自分に無いものを持ってると、興味が湧くんですよね。

 

そもそも日本人がコミュニケーション下手だと言われる理由の原因は、「個性がなぜ大切なのかが分かってない」ということにこそ全ての原因があると思います。

 

個性は貫き通してこそ、価値を磨ける

 

 

日本人でよくある特徴の一つに、自分を基準にして勝手に人を判断するクセが強すぎる傾向にあると思います。

 

それは昔から日本の風習である上下関係や年功序列と言った考えがベースにあって、それが原因で勝手に人を判断してしまう悪いクセがあるんですね。

 

ちょっとした変化や人と違う行動をしてるだけで「どうしたんだろう」とか、「何かあったのかな」なんて妄想を膨らませる。

かと言ってコミュニケーション取る訳でもなく、外からこっそり眺めて様子見てる感じ笑

 

冷静に考えたら気持ち悪いですよね。

 

例えば、僕なんか色々なことをやって収益を上げているので、平日の昼間とかに平気で犬の散歩とかしてる訳です。

 

すると、

「あの人昼間から何してるんだろう?」

「あの人ニートなのかな?」

なんて思う人がいるはずなんです。

例えばですよ笑

別に誰も何も直接は言ってこないですから笑

 

ただ何となくそんなことを感じる訳です。

 

それは、“男は平日は仕事に行って家にいない”という固定観念があるからですよね。

 

確かに間違ってはいないですが、今の時代昼間に男が散歩しているから何が悪いの?と思う訳です。

別に何してようが人の勝手だし何してても良いじゃないですか。

 

ブロガーやユーチューバーだって自宅で作業してサラリーマンよりも稼いでるという現実があるのに、仕事して収益を上げているということに関しては何も変わりませんよね。

 

人生という長い道のりにおいて色々な選択があってもいいだろうし、僕自身もこのままこの生活を続けるなんてことは思っていません。

まだまだやりたいことはたくさんある訳で、少しづつ自分のペースでやれることに挑戦していくつもりです。

 

そんなのも自分の勝手だし、人にとやかく言われる筋合いも無い訳ですよね。

 

むしろ人のこと心配するよりも、何も挑戦せず今の生活がいつまでも続くと思って何も変えずに、新しいことをやる勇気も無い人の方が僕は心配してるぐらいです。

 

いつまでも狭い世界の価値でしか物事を考えられない、普通でいることが全てだと思っている。

 

挙げ句の果てには自分は平気だとか、誰かが企業が国が何とかしてくれるなんて人任せの考えを持ち、誰かに頼りっぱなしの人生こそ「そのままで大丈夫か?」と思っています。

そういう人は、気づいても感じてもいないのでしょう。

 

気づいてても何も行動せず、何もできずに指をくわえて待ってるだけなのでしょう。

 

そういう人はそれで良いので、ぜひそうやって待っていてください。

その間に僕はどんどん前に進むだけですから。

 

要は、すぐに結果や答えを求めて走るのではなく、自分が信じた道があればなるべく早く挑戦し、もしダメだったとしても軌道修正すればいいんです。

 

それにはある一定の期間が絶対に必要不可欠。

全ての物事において継続してこそ、その価値を見いだすようになるということ。

 

たったそれだけのことなのに、挑戦する勇気を持てないことの方が人間としておかしいのです。

 

どんな新しい技術だって新しい考え方だって、最初は否定され潰されそうになりながらも軌道修正を繰り返しながら継続してきた結果今がある訳です。

 

インターネットやスマホがこれだけ普及してきたのも、最初は散々否定されてきた過去があります。

その中でも信念持ってうまく継続してきた奴が生き残るのは当たり前なんです。

 

個性を貫き通してきたからその価値を作り出し、認めてもらえただけの話。

 

最初の一歩は全て「個性」から始まっているのに、その個性を否定してしまうということは人々が進化するのを自ら潰しているということに繋がるのです。

 

まとめ

 

個性を潰す人の特徴として、過去の自分に実現できなかったことがあったり、自分に無い考えを持ってる人に対して理解できず、否定するしか能がないという特徴があります。

 

要は、その人に対する”僻み・妬み”なんですよね。

 

怒ったり傷つけるようなことを言ってしまうのも、自分にない価値に侵されるのが怖いから自分が信じてきた道に引きづりこもうとしているだけの話。

でもそれは相手を受け入れるだけの余裕が無いことをさらけ出してるようなもの。

 

普通に自分に無いものを持ってるなら尊重してあげれば良い。

自分が憧れるのならただ真似すれば良い。

それでも足りなければ、自分の個性を磨けば良い。

 

たったそれだけのことなのにいつまでも他人と比較し、自分が優れている・劣っているという風に自分で勝手に評価してしまう。

いつまでそんなくだらない意識を持ち続けるのでしょうか。

 

若くても優れている奴はたくさんいるし、歳とっててもダメな奴もたくさんいます。

 

かっこ良くても性格悪い奴はいるし、ブサイクでも良い人なんていっぱいいますよね。

どっちが正しいとかどっちがダメかって一言で言えますか。

言えないですよね。

 

何だって良いんですよ。

 

もっと広い心で受け止め、世界を見れば日本人よりももっと優れた奴もいるし、めちゃくちゃな奴もたくさんいます。

どれが正解とかではなくて、その人自身がそれで良いからそうしている。

 

だからそれで良いんです。

 

間違ってたとしてもいつか気づく時が来るはず。

 

気づかずに死んでいったとしてもそれで良いじゃない。

 

人のことをどうこう言う前に、自分は本気で楽しんでますか?

自分と向き合い、自分が心から喜ぶことを行動していますか?

 

それが自分の価値であって、自分の考えです。

誰が何言おうと、自分が良いと思ってるならそれで良い。

 

日本人に足りないもの、それこそが『個性を受け入れる心』だと思います。

 

この感覚を理解してる人としてない人とでは、今後の人生においてのその差は相当大きいですよ。

 

何よりも自分に素直に直感を信じて行動する。

僕たちはこんな簡単なこともいつのまにか失ってしまったんです。

 

ぜひこれからの未来の為に、前を向いて自分の足で歩んでいくことを意識しましょう。

読んで頂きありがとうございました。

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