僕は約3年半ほど海外に住んでた経験があるのですが、実際に住んでみると、思い描いてた海外生活のイメージとは全くかけ離れたものでした。
僕達日本人がテレビやネットで見ているものは単なる上部だけのものであり、実際にその環境に行って肌で感じないと、本当の意味でその国を知ることなんてできません。
いい部分も悪い部分も僕達が知る情報と真実とには、大きなギャップがあることは理解しておく必要があるのです。
特にその国に住む人々の考え方や、価値観、人生に対する捉え方は日本人にとって衝撃的な発想を持っている人が多く、まだまだ学ぶべきことがたくさんあることに気付かされます。
いやむしろ日本人の方が独特な環境で、狭い価値観の中でしか物事を考えられない傾向にあり、それこそ人として問題なんじゃないかと。
僕達日本人はもっと世界に目を向けて、世界の常識や外国人の価値観を学び、更なる成長を目指していく必要がある。
その為には他を受け入れる勇気、そして自ら学ぶ意思が何よりも重要なんだと僕達は気づかないといけないんだと思います。
海外生活を通して自分の存在価値を再確認
当時、僕が海外に住むことを決めた理由は単純に美容師だったから。
むしろ美容師でなければ海外に住もうなんて考えもしなかったでしょう。
しかし海外に住んではみたものの、やはり色々な壁にぶつかるわけです。
- お客様が外国人
- 好みや求めるものが違う
- 文化が違う
- 言語が違う
- コミュニケーションの仕方が違う
これらは当たり前のことではありますが、海外に住む時に誰もが必ず通る最初の問題だと言えるでしょう。
でもその経験を通して学んだことが一つだけあります。
「美容師としてお客様の髪を一生懸命切り、喜んでくれればそれでいい」でした。
それが美容師としてのやりがいであり、日本人だろうが外国人だろうがお客様が満足してくれることが僕が美容師をやっている理由だと。
しかし実際に日本でやってる時は、そんな当たり前のことをいつのまにか見失っていました。
お客様を第一に考えてるとは言っても、お店の売り上げや自分の生活のことを常に意識してしまっている。
これに関して”プロ意識”だと述べる人もいるとは思いますが、僕たち美容師は”人よりもちょっと上手く髪を切れる人”です。
それ以上でもなく、ただ「髪を切れる人」と言うだけ。
苦労して技術を覚えてきたとか、売り上げやお店のことなんてお客様には全く関係ない。
更に、良い意味でも悪い意味でも日本と違って、髪型・ファッションにそこまでこだわりがない人が多いから、分からない事に関してはプロである美容師さんに任せる事が多々あります。
「今日はどうしますか?」と言うと、
「あなたはどう思う?」
このやり取りをされる方が本当に多い。
いきなりこんな感じで返事してくるので、慣れないうちは本当に困りました。
「まだ海外生活に慣れていないのに白人の髪型の好みなんて分かる訳ないだろ。。」そんなことを思ったのは一度だけではありません。
でも彼ら外国人からすると、『美容師としてお店に立っているなら年齢とか経歴関係なくプロ』なんです。
だからお客様から年齢とか経歴などは一度も聞かれた事なく、普通にプロの美容師として接してくれました。
それはある意味プレッシャーではありますけど、すごく相手を尊重してくれるし、日本人美容師としての存在意義を最も感じた瞬間でもあったんです。
他人を先に判断する日本人、後で判断する外国人
外国人と触れ合ってみて気づいたこととして、初対面の相手を判断する時に全て「後で」その人を判断する傾向にあります。
例えば海外旅行に行った時にこんな光景を見たことありませんか?
レストランなどで隣に座ってきた初対面の人といきなり話し出し、その後友達感覚で永遠に喋ってる外国人。
日本人からしたら単純にすごいことですが、彼らにとっては結構普通のこと。
僕も海外滞在中に何度も同じような経験をしているので、全く違和感なく相手の心に入り込んでいける彼らの話術は本当にすごい。
そう、外国人にあって日本人に足りないものとは、『圧倒的なコミュニケーション能力』です。
そもそも外国人の多くは、基本的に誰に対しても最初は壁を作りません。
小さい時から違う国籍の人と触れ合ったり、多様性を教育する文化が根付いていることから、「まずは相手を受け入れる」ことを徹底して行なっています。
ではなぜ日本人にはそれができないのか?
それは、『相手を引き出すコミュニケーション能力』と『他を受け入れる勇気』が無いからです。
小さい時から他言語や多くの文化に触れることが無かった僕たちは、日本以外の当たり前や常識に関して知識がありません。
知ってるのはテレビやネットの情報だけです。
でも先ほども述べたように、メディアで流れる情報と真実には相当なギャップがあり、正しい情報を知りたいならその環境に出向いて体験するしか方法がありません。
例えば日本では、海外のニュースも映画もキレイに日本語に訳して分かりやすくした状態で報道してますよね。
しかし多言語を操れるヨーロッパなどの欧米社会では、小さい時から当たり前のように、その国の言語以外の言葉を使った番組を観て育っています。
その理由は、小さい時から多様性や違う文化を受け入れる心を教育する為です。
要は自国だけではなく、一歩外を見渡せば色々な国籍や肌の色、違う言葉を話す人がいて、そのみんながいるからこそ世の中が成り立っていることを自覚させる。
その結果相手を見た目だけで判断することは難しく、しっかりコミュニケーションを取らないと本当の意味で相手のことが理解できないし、自分のことも相手に伝わりにくい。
だからこそまずは自分から心を開いて、オープンマインドで相手を理解しようとし、その結果初対面の人でも気軽に会話が成り立つと言うこと。
しかし日本人は島国で教育されてきたのもあり、隣近所も学校も職場もほとんどが日本人だけで世界観が出来上がっていますよね。
要は自分と見た目が似ている、価値観が同じじゃないと、そもそも受け入れられるだけの心を持っていないのです。
だからこそ相手を判断する材料が少なく、まず最初に目に入ってくるのがその人の見た目であることから、とりあえず先に容姿で判断する傾向にある。
- 男性・女性
- 背が高い・低い
- 太ってる・痩せてる
- 優しそう・怖そう
- 言葉が一緒・言葉が違う
- 学校が一緒・学校が違う
- 結婚してる・結婚してない
- 子供がいる・子供がいない
- 仕事してる・仕事してない
このような共通点において、似たような人と全く似ていない人とで無意識に相手を判断し、その結果多様性とは程遠い価値観を持つ人種になってしまったと言われています。
しかし同じ日本人同士だとしても、その人の本質を知る為には最低限の時間が必要ですよね?
よくあるのが、「怖そうな見た目だけど中身が優しい」とか、「見た目若そうだけど中身がおじさん」とか、人それぞれ色々な個性があって当たり前だし、むしろ皆一緒じゃなきゃいけない方が違和感ありませんか。
それは外国人相手でも同じことが言えます。
とにかく相手を知るには空気を読むでも何でもなく、相手のことを理解する心のキャパと、コミュニケーション能力が最も重要。
ある意味日本人の多くが病んでしまっている理由は、空気ばっかり読むことに意識が向きすぎて、変に相手を信用できなくなってしまい、その結果生き辛い世の中を作り出してしまったとも言えるのではないでしょうか。
その為にもまず第一歩は、自分に無いものを受け入れ、他から学ぶ意識を持って他人と向き合うことから始めてみましょう。
まとめ
これからの時代において、変えるべきものはどんどん変える努力をしないといけません。
今まで日本の常識は日本国内では問題なかっただけで、これからは他国や外国人から学ぶべきことは吸収して、国境関係なく付き合っていく世の中を作っていく必要があると思います。
すでに外国人が溢れてきた日本において、外国人とうまく共存して新しい価値や常識を作っていかなければならない。
それは時代の大きな転換期であり、変わらないといけない状況になってきたから。
その為には日本の良い部分は残しつつ、日本人自体が大きく進化できるかどうかでこの先の未来が決まると言っても過言ではないでしょう。
そこに必要なのは文化や言語ではなく、『相手を受け入れる心』と『コミュニケーション能力』です。
より良い世の中にする為、これからの未来の為に動き出しましょう。
読んで頂きありがとうございました。